とある中間管理職のつぶやき:「静かな退職」について思うこと
「静かな退職」と「50歳の中間管理職」と掛けまして、その心は?
「どちらも次のステップを考え始める時期でしょう。」
みなさまは「静かな退職」という言葉をご存じでしょうか?
多様性がうたわれる昨今では、別段悪いわけではありませんが、やはり自分がリーダーでみんなに頑張って欲しいって思ってらっしゃる人からすれば...扱い難いなぁって思うこともあるんじゃないでしょうか...。
私、会社が求める生産性や、成果を、限られた時間で達成しているのであれば、何も問題ないと思います。
問題があるとすれば、会社が求める生産性や成果に対して、取り組まない、達成しなくても気にしなくなるという状態です。
それはさておき...
この会社が求める生産性や成果とはいったい何なんでしょうね?
全ての部署で目標が達成された場合、会社はどうなるのでしょうか?
魅力的な商品やサービスの提供、不要な支出もなく、問題の起こらない業務、だれもが満足のいく給与と休日が与えられ、何不自由ない手厚い福利厚生...
ブラックユーモアの効いた短編のSF小説をたいへん多く発表されており、私、大好きな小説家の一人です。
作品の中で、未来、人が働かなくても良い時代を題材にした話がよく出てくるのですが、だいたい人をダメにするパターンでオチがつきます。
上記のパターンではありませんが、「一日の仕事」:星新一の短編集「だれかさんの悪夢」に収録を、思い出しました。
「職場」である無人の会社にて、1人毎日同じことを繰り返す...
内容についてはおいておくとして、是非とも手に取って読んでみて欲しいとは思うのですが、「今俺は食うために働き、働く為に食っている。俺はこの仕事を愛しているのだ。」って言葉で最後を締めくくってたと思います。
私、人ってば、やり甲斐や責任感のある作業(=仕事や家事)を行わないと、堕落していくんだろうなって気がしています。
せっかく働くんだったら、楽しく成果を出すって意気込みで精一杯働いて、自分の時間は自分の時間として十二分に堪能するのが理想だとは思います。
「静かな退職」という言葉、たしかに表現としてとても巧妙で、表面上は何も変わらないように見えても、実際には仕事に対する熱意やエネルギーが静かに失われている状態を的確に表しているように思います。
この言葉には、ただ辞めるわけではなく、目に見えない形で仕事への関与が薄れていくというニュアンスが含まれており、その微妙な変化を表現するのにぴったりなのかもしれません。
そして、何かのきっかけで...静かな退職者は、本当の意味での退職者となっていくように思います。
*1:星新一更新サイト:hoshishinichi.com